昨日のエントリでは、かつて「キレる17歳」と言われ社会を騒がせた世代が、今25歳になって秋葉原無差別殺人を起こしたというように書いた。むろん、これは私の思いつきで、2000年当時17歳だった人々だってキレる人間ばかりではなかったはずだし、むしろ真面目に暮らしている者の方が多かったはずである。今回の事件を起こした犯人にしても、彼がたまたま25歳だったということであり、その犯行動機を世代に求めるのは無謀というもの...
乱暴を承知で、世代論を推し進めてみる
秋葉原の殺傷事件について、「世代論」と「社会原因説」を述べる方が増えてきた
様に思う。だが、この手の事件については、小生はまた違った見方をしているので
手短に書いてみたい。
結論から言うと、小生は
「事件を起こすのはあくまで本人の責任」という持論を
持っている。そして、本人以外に責任があるとすればそれは
「親の育て方」である
と思っている。
昨日、容疑者の親が報道陣に対して会見を行ったが、それを見たときに小生は
「やっぱりこの親にしてこの子あり、かもな」と感じた。
容疑者の父親がコメントを発表したのであるが、その横には彼の奥さん
(別居中らしいが)つまり容疑者の母親が付き添っていた。
そしてコメントの最中に突然、彼女はその場にへたり込み号泣し始めたのだ。
もしも小生なら、会見を一旦中断して彼女を家の中に入れ、改めて再開すると
思う。おそらくこれを読んでいる多くの方も、そうするのではないかと思う。
ところが容疑者の父親は、自分の奥さんにフラッシュがたかれ晒し者になっている
にも拘らず、平然と会見を続けていたのだ。
小生にとっては「引っ掛かる」どころの騒ぎではなく、「ああ、この男が息子を
ああいう人間に育てたのか」と決め付けるに充分な光景であった。
確かに、自分の息子が重大事件を起こしたせいで記者会見をするなどという事は、
初めてであろうし動顚もしている事だろう。だが、そういう時だからこそ人間の本性が
現れるのだ。あの会見で小生は、容疑者の父親の本性を見せられた思いがした。
容疑者を生んだのは「世代」でも「社会」でもなく、「親のあり方育て方」であると
小生は確信している。
これから調べが進むに従い、いろいろな事実や逸話が出てくる事だろうが、
小生にとっては「あの父親が…」という見方を拭い去る事は当分出来そうに無い。
そして子を持つ父親の一人としては、「自分は父親として人間としてどうだろうか?」
と改めて自省してみるのである。
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