大相撲3月場所が終わり…

表彰式等が全部終わると、早速片付けに掛かってました。「吊り屋根」が降ろされて、「四房(しぶさ)」が外されていきます。こんねんなったところまで見て外へ出ていきました。... お〜屋根が〜!




上記の篠乃喜麻呂氏のブログを見ていて、大相撲について思い出す事もあり、
一寸記事を書く気になった。

小生の子供の頃(昭和40年代後半〜50年代)は、お相撲を観に行くのは、
結構大変な事であったと記憶している。
親父が会社の接待(?)(因みにおそらく接待する側だったはず)で相撲観戦に行くと
沢山のお土産を持って帰ってきてくれたものだ。

小生が始めて大相撲を観に行ったのは、中学生になってからだった様に思う。
テレビで見るのとは大違いで、立会いの時の双方の頭がぶち当たる「ゴンッ!」
という音に驚いたし、長い取り組みの時の力士の「ハアッハアッ」という荒い息遣い
にも迫力を感じたものだ。
どんなにテレビの性能が上がっても、たとえデジタル放送になろうとも、あの迫力を
100%伝え切るのはおそらく無理であろう。(スポーツは何でもそうかも知れぬが…)

閑話休題。
我が娘は小さい頃から何故か相撲に興味を示し、小生がテレビ観戦していると
横にやってきては、まわしの色を指して「黒負けちゃうよ」「青勝ったねー」などと
喜んでいた。そこで、本物のあの迫力を見せてやりたいと思い立った。
調べてみると、ネットで枡席が買えることが分かり購入。便利な世の中になった
ものだ、と感心したのを覚えている。行ったのは05年の5月場所である。

娘は大層楽しみにしていたし、国技館に入って暫くは落ち着いていたのだが、
酔客のオッサンの「○○山あー!」のドラ声にビビりまくってしまい、
入って20分後には「お家に帰るー」と半べそ状態になってしまった。

我々夫婦と娘だけだったら帰ってしまったところだが、その時には義父も一緒で、
彼は終戦後の青空興行の時に観て以来との事だったので、小生が娘を外に
連れ出した。(家内は父親と一緒に観戦させた)

仕方が無いので、国技館の周りをウロウロ散歩していたのだが、取り組みが終わった
力士の出口があるのを思い出し、娘を連れて行ってみた。
まだ幕内前半だったので出待ちのファンも少なく、和やかな雰囲気の中、力士が
一人また一人と出てくる。
娘を肩車してあげて、何人かの力士と握手をしてもらった。娘も、力士の大きな手や
肩車状態より更に高い身長に大喜びで、「大きいねー」と歓声を上げていた。
娘にとっては、館内で取り組みを観るよりも強烈な印象だった様である。

今の子供たちは、ゲームやインターネットなどのバーチャル体験ばかりで、
ナマの体験が少ないように思う。
(それがおかしな事件が起きる一因である様にも思える)
ある意味、それはとても可哀想な事だと小生は思うのである。
我々親の世代は、子供達にナマの体験をする機会をもっと作って
あげたいものである。

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theme : 大相撲
genre : スポーツ

tag : 大相撲 国技館

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おはようございます。
なっなっなんと!これがトラックバックという手法ですか?
私もさっぱり解っておりません。なにはともあれ初トラックバック、
ありがとうございます。

「決戦前夜」、かなり根性入れて買いましたよ〜。普段、いきつけの居酒屋では「二階堂」で、いきつけのすし屋では氏と同じ「黒霧」ですよ。
プロフィール

Author:錨七鉄斎
小生は四十路のサラリーマン、
錨七鉄斎である。

「中年男こそ心と身体を健康に
維持して、社会に貢献せねば」
という思いから、個人の在り様
を探って行こうと思う。
また、時には社会問題にも言及
してゆくつもりである。

<HNの由来>
「錨」は「怒り」に掛けると共に、
世の中がヘンな方向に流されぬ
様に、我々中年男が錨の役を
果たさねばという思いから。
「七鉄」は7番アイアン。
小生の得意クラブ、いや
「頼みの綱」である。

<九転十起とは>
”京浜臨海工業地帯開発の父”
浅野総一郎翁が創設した学校
浅野学園の校訓で、幾度の失敗
でも決して諦めない不屈の心を
表しています。

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